聞こえにくさは脳の問題でもある——加齢性難聴と内耳の血流
会話の中で聞き返すことが増えた。家族から「テレビの音が大きい」と言われる。にぎやかな会食の席で、話についていくのが少し疲れるようになった——こうした変化に、心当たりはないでしょうか。
聞こえの衰えは、ゆっくり進むため本人が気づきにくく、気づいても「年だから仕方ない」と受け流されがちです。しかし近年、聞こえの問題は耳だけでなく、脳の健康とも深く関わっていることが、大規模な研究によって示されるようになりました。
「臓器年齢」という考え方で、臓器はそれぞれ違う速さで老いていくことをお伝えしました。今回は、その中でも見落とされやすい「耳」——とくに内耳の加齢を取り上げます。
「聞こえ」は、耳と脳の共同作業
音は、耳の穴(外耳)から鼓膜を震わせ、中耳の小さな骨を経て、内耳の蝸牛(かぎゅう)に届きます。蝸牛はかたつむりの殻のような形をした器官で、その中に並ぶ有毛細胞が音の振動を電気信号に変え、聴神経を通じて脳へ送ります。
私たちが「言葉」として音を理解できるのは、脳がその信号を処理しているからです。つまり、聞こえとは耳と脳の共同作業であり、どちらか一方の衰えは、もう一方にも影響を及ぼします。
加齢性難聴はとても身近な変化
年齢とともに、両耳の聞こえが少しずつ低下していく状態を加齢性難聴といいます。一般に、高い音から聞こえにくくなるのが特徴で、「サ行」「カ行」など子音の聞き分けが難しくなり、「音は聞こえるのに、言葉が聞き取れない」という形で現れやすくなります。
米国の全国調査のデータでは、70歳以上の白人の約63%に、両耳に難聴が認められたと報告されています[3]。日本でも、日本補聴器工業会の調査(JapanTrak 2022)で、難聴を自覚している人は約10%とされる一方、そのうち補聴器を持っている人は15.2%にとどまり、欧州の国々(英国53%、ドイツ41%など)と比べて大きな差があることが示されています[5]。
内耳は、全身で最も血流に頼る器官のひとつ
加齢性難聴の原因は一つではありません。有毛細胞や聴神経の加齢変化に加え、近年あらためて注目されているのが、蝸牛の壁にある血管条(けっかんじょう)という組織です。
血管条は、その名のとおり毛細血管が豊富な組織で、蝸牛の中の電気的な環境(内リンパ電位)を保つ「電池」のような役割を担っています。この電位が保たれてはじめて、有毛細胞は音を効率よく電気信号に変えることができます。2024年に発表された総説では、動物とヒトの研究を統合すると、加齢に伴う聴力の低下の多くは、この血管条の変性と、それに伴う電位の低下で説明できる可能性があると整理されています。また、血管条の細胞の萎縮が、毛細血管の障害による血流不足に続いて起こる可能性も指摘されています[4]。
内耳の血管は非常に細く、全身の毛細血管の状態の影響を受けやすいと考えられています。毛細血管そのものについては「ゴースト血管」で、全身の血管のしなやかさについては「血管年齢」とは何かで扱っています。
難聴は、認知症の「変えられるリスク」として注目されている
ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。
世界の専門家による「認知症の予防・介入・ケアに関するランセット委員会」は、2024年の報告で、認知症のリスクを高める変えられる可能性のある要因を14項目挙げました。そのうち、中年期の難聴は、リスク全体に占める割合が最も大きい要因のひとつ(約7%)と位置づけられています[1]。同じ報告では、治療されていない視力の低下も新たにリスク要因として加えられています。目の加齢については目は老いるのかで扱いました。
なぜ聞こえが脳に影響するのでしょうか。考えられている仕組みには、次のようなものがあります。
- 脳への刺激が減る。 音の情報が入りにくくなることで、脳の聴覚に関わる領域への刺激が減ります。
- 聞き取りに脳の力を使い果たす。 聞き取ろうと努力するために脳の処理資源が使われ、記憶や思考に回る余力が減るという考え方があります。
- 人との交流が減る。 会話が負担になり、人と会う機会が減ることが、社会的な孤立につながりやすくなります。
脳そのものの加齢については脳は老いるのかで詳しく扱っています。会議や会食で「聞き取りに疲れる」ことが判断の質に影響しうるという視点は、経営判断を鈍らせる「脳の加齢」の内容ともつながります。
補聴器で、認知機能の低下は防げるのか
では、聞こえを補えば、認知機能の低下を防げるのでしょうか。この問いに正面から取り組んだのが、2023年に発表されたACHIEVE試験です[2]。
米国で70〜84歳の難聴のある977人を、補聴器の調整を含む聴覚支援を受けるグループと、一般的な健康教育を受けるグループに分け、3年間の認知機能の変化を比較しました。
結果は、慎重に読む必要があります。
- 参加者全体で見ると、3年間の認知機能の低下に、2つのグループで明らかな差は認められませんでした。
- 一方で、もともと認知機能低下のリスクが高い人たちのグループに限ると、聴覚支援を受けた人では、3年間の認知機能の低下が約48%緩やかだったと報告されています。
つまり、「補聴器を使えば認知症を防げる」とは言えないものの、リスクの高い人では、聞こえを補うことが認知機能の低下を緩やかにする可能性がある、というのが現時点での誠実な読み方です。聞こえを放置しないことには、少なくとも検討する価値があると考えられます。
日常で意識できること
加齢性難聴そのものを止める方法は確立していませんが、聞こえを守り、変化に早く気づく工夫はあります。
- 大きな音から耳を守る。 長時間の大音量のイヤホン使用や騒音環境は、内耳に負担をかけます。
- 聞こえの変化を記録する。 聞き返しの頻度、テレビの音量、電話での聞き取りにくさなど、ご家族の指摘も含めて書き留めておくと役立ちます。
- 一度、聴力検査で現状を知っておく。 健診の聴力検査は限られた音の高さしか調べないことが多いため、気になる変化があれば詳しい検査を受けることをお勧めします。
- 血管の健康を保つ。 血圧や血糖、喫煙など、全身の血管に関わる要因は、内耳の細い血管にも関わると考えられています。
- 会話や人との交流を減らさない。 聞こえにくさから人付き合いを避けがちになることは、脳の健康の面でも避けたい状態です。
なお、片方の耳が急に聞こえなくなった、耳が詰まった感じが突然始まった、めまいを伴う、といった場合は「突発性難聴」などの可能性があり、できるだけ早く耳鼻咽喉科を受診することが大切です。 加齢性難聴とは異なり、時間との勝負になる場合があります。
「ぼんやりしている」のではなく「聞こえていなかった」——救急医の視点から
私は銀座数寄屋橋クリニックの院長を務める前、約20年にわたり国立の医療機関で救急医として勤務し、延べ約36,000人の患者さんの診療にあたってきました。
救急外来では、「最近ぼんやりしていて、話しかけても反応が鈍い」と、ご家族に連れられて来られる高齢の方がいらっしゃいます。意識の状態や脳の病気を念頭に診察を進めていくと、実は、こちらの声がよく聞こえていなかっただけだった——そうした場面に、私は何度も出会いました。耳元でゆっくり話しかけると、しっかりと受け答えができるのです。
逆の場面もあります。聞こえにくさのために会話がかみ合わず、ご本人が「もう歳だから」と人と話すことをあきらめてしまっている。ご家族も「最近、物忘れが増えた」と心配されている。聞こえと認知の問題は、外から見ると区別がつきにくく、互いに重なり合っています。
救急の現場で私が学んだのは、「反応が鈍い」という状態を見たときに、まず「聞こえているか」を確かめることの大切さでした。聞こえは、本人も周囲も見落としやすい一方で、確かめることは比較的簡単です。
だからこそ私は、聞き返しが増えたと感じたら、それを「年のせい」で済ませず、一度聞こえの状態を確認していただきたいとお伝えしています。聞こえを保つことは、人とのつながりを保つことであり、脳の健康を保つことにもつながっていると考えています。
まとめ
- 聞こえは耳と脳の共同作業です。加齢性難聴は高い音から始まりやすく、「音は聞こえるのに言葉が聞き取れない」という形で現れることがあります。日本では難聴を自覚する人のうち、補聴器を持っている人は15.2%にとどまります。
- 内耳の蝸牛にある血管条は毛細血管が豊富な組織で、その変性が加齢に伴う聴力低下の大きな要因である可能性が、近年あらためて指摘されています。
- 2024年のランセット委員会報告では、難聴は認知症の変えられる可能性のあるリスク要因の中で、割合が最も大きいもののひとつ(約7%)とされています。
- ACHIEVE試験では、全体では聴覚支援による認知機能低下の抑制は明らかではありませんでしたが、リスクの高い人では低下が約48%緩やかだったと報告されています。聞こえの変化は「年のせい」で済ませず、一度確認することが大切です。
聞こえの衰えは、静かに、ゆっくりと進みます。だからこそ、気づいたときが確かめどきです。聞こえを保つことは、会話を保ち、人とのつながりを保つこと——その積み重ねが、脳の健康という大きな資産を守ることにつながっていくと考えています。
当院はストレスフリー療法を専門に提供しており、末梢の血流や脳血流に着目しながら、穏やかな温熱刺激を通じて体の土台を支えることを目指しています(研究知見にもとづく予備的なもので、はたらき方や結果には個人差があり、費用は全額自己負担となります)。当院は耳鼻咽喉科の専門的な診療は行っておりません。 聞こえにくさや聞き返しの増加など気になる症状がある場合は、当院にご相談ください。その科学的な考え方についてはストレスと老化の科学で解説しています。
日々の負荷とのつきあい方にご関心のある方は、施術の流れや費用をまとめた当院のメニュー・料金ページもあわせてご覧ください。
よくある質問
Q. 聞き返すことが増えました。年のせいでしょうか?
A. 年齢とともに聞こえが少しずつ低下する加齢性難聴は、とても身近な変化です。ただし、耳あかがたまっている、中耳の病気があるなど、別の原因が見つかることもあります。また、聞こえの低下は人との会話や脳の健康にも関わることが分かってきています。「年のせい」と決めつけず、一度聞こえの状態を確認しておくことをお勧めします。
Q. 補聴器を使うと認知症を予防できますか?
A. 現時点で「補聴器を使えば認知症を予防できる」とは言えません。大規模な臨床試験(ACHIEVE試験)では、参加者全体では認知機能の低下に明らかな差は見られませんでした。一方で、認知機能低下のリスクが高い人に限ると、低下が緩やかになったという結果も報告されています。聞こえを補うことは、会話や生活の質を保つ意味でも検討する価値があると考えられます。
Q. 健康診断の聴力検査で「異常なし」でした。安心してよいですか?
A. 健診で異常が指摘されないことは前向きな情報ですが、一般的な健診の聴力検査は、限られた音の高さで聞こえるかどうかを確認するものが多く、言葉の聞き取りにくさまでは評価できないことがあります。会話で聞き返すことが増えたなど日常で気になる変化があれば、健診結果にかかわらず聞こえの状態を確認することをお勧めします。
参考文献
- Livingston G, et al.「Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission」(2024年、The Lancet, 404:572–628)— 認知症の変えられる可能性のあるリスク要因を14項目に整理し、難聴を割合の大きい要因のひとつ(約7%)、治療されていない視力低下を新たな要因として位置づけた報告。doi:10.1016/S0140-6736(24)01296-0. 出典
- Lin FR, et al.「Hearing intervention versus health education control to reduce cognitive decline in older adults with hearing loss in the USA (ACHIEVE): a multicentre, randomised controlled trial」(2023年、The Lancet, 402(10404):786–797)— 70〜84歳の難聴者977人を対象に、聴覚支援と健康教育を比較した無作為化試験。全体では3年間の認知機能低下に差はなかったが、認知機能低下のリスクが高い集団では低下が約48%緩やかだったと報告。doi:10.1016/S0140-6736(23)01406-X. 出典
- Lin FR, Niparko JK, Ferrucci L.「Hearing Loss Prevalence in the United States」(2011年、Archives of Internal Medicine, 171(20):1851–1852)— 米国NHANESのデータから、70歳以上の白人の約63%、黒人の約40%に両耳の難聴が認められたと報告した研究。出典
- Bovee S, Klump GM, Köppl C, Pyott SJ.「The Stria Vascularis: Renewed Attention on a Key Player in Age-Related Hearing Loss」(2024年、International Journal of Molecular Sciences, 25(10):5391)— 加齢性難聴における蝸牛の血管条の役割を、動物とヒトの研究を統合して整理した総説。doi:10.3390/ijms25105391. 出典
- 一般社団法人 日本補聴器工業会「JapanTrak 2022 調査報告」(2023年)— 日本の難聴自覚率(約10%)と、難聴者の補聴器所有率(15.2%)を欧州各国と比較した調査。出典
- Ryotokuji K, et al.「Effect of Stress-free Therapy on Cerebral Blood Flow」(2014年、Laser Therapy, 23:9–12)— ストレスフリー療法と脳血流に関する研究(小規模・予備的な研究であり、聴力や認知機能への効果を検討したものではありません)。
※上記の研究知見は聞こえの加齢と脳の健康に関する一般的な理解を示すものであり、個々の方の将来の病気を予測したり、特定の検査・治療・機器による効果を保証したりするものではありません。海外の研究データを日本人にそのまま当てはめることはできません。ストレスフリー療法に関する研究は小規模・予備的なものを含み、はたらき方や結果には個人差があります。
本記事は健康に関する一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の検査・治療・製品の効果を保証するものではありません。当院は耳鼻咽喉科の専門的な診療は行っておりません。聞こえにくさや聞き返しの増加など気になる症状がある場合は、当院にご相談ください。片耳が急に聞こえなくなった場合など急な症状は、早めの受診が大切です。自由診療の費用は全額自己負担となります。体の状態には個人差があります。
監修医プロフィール
院長
佐藤 琢紀(サトウ タクノリ)
元国立国際医療研究センター国府台病院救急科診療科長。専門:救急医療、集中治療、ストレスフリー療法、全人的医療。経歴:東北大学医学部卒、順天堂大学大学院卒。命の最前線である救急医療に20年以上従事。「病気になる前に救う」ための戦略的医療を提唱し、2023年より銀座数寄屋橋クリニック院長に着任。救急科専門医、医学博士。
- メッセージ
- こんにちは、院長の佐藤琢紀です。救急医として約20年間、36,000人もの診療に当たってきました。「病気になる前に救いたい」という思いから、いまは予防と若返りの医療へ。専門的な話もできるだけ自分の言葉でやさしくお届けします。様々な情報が溢れる時代だからこそ、「元氣で楽しい人生」を送る“本物”のヒントを皆さまに提供してまいります。 こちらでお願いいたします。
