資産寿命と健康寿命——「ヘルススパン」という資産形成の考え方
「資産寿命」という言葉が、すっかり定着しました。手元の資産が何歳まで持つのか。取り崩しの速度をどう設計するか。人生が長くなった以上、お金にも寿命があるという発想は、いまや当たり前のものになっています。
ではもう一方の寿命——健康寿命については、同じくらい設計されているでしょうか。
資産の残高は、いつでもアプリで確認できます。健康の残高を、同じ解像度で把握している方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
この記事では、「ヘルススパン(健康でいられる期間)」という考え方を軸に、資産寿命と健康寿命がどう関係しているのかを整理します。なお、具体的な資産形成の方法や金額についてお話しするものではありません。 そちらは専門の方にご相談ください。
「ヘルススパン」とは何か
英語で寿命は ライフスパン(lifespan)、健康でいられる期間は ヘルススパン(healthspan) と呼ばれます。日本語の「平均寿命」と「健康寿命」に、ほぼ対応する言葉です。
老化研究の分野でこの区別が強調されるようになったのは、寿命を延ばすだけでは目的を果たせないという認識が広がったからです。長く生きても、その後半が日常生活に制限のある期間であれば、延びた年数の意味は変わってきます。
世界保健機関(WHO)も、2021〜2030年を「健康な高齢化の10年(Decade of Healthy Ageing)」と位置づけ、焦点を寿命そのものから健康でいられる期間へと移す方向を打ち出しました[1]。世界の長寿医療がこの方向にどう動いているかは世界の「ロンジェビティクリニック」で扱っています。
日本の数字が示す「差」
具体的に見てみます。
令和4(2022)年の日本の健康寿命は男性72.57年、女性75.45年。同じ年の平均寿命は男性81.05年、女性87.09年でした[2]。
差は、男性で約8.5年、女性で約11.6年。
この差は、調査開始以来もっとも短くなったと報告されています。改善はしている。それでもなお、人生の最後におよそ10年前後、日常生活に何らかの制限がある期間が置かれている、というのが現在地です。
資産計画では、この期間を「支出が増える時期」として織り込みます。医療・介護の費用が想定され、そのための備えが議論されます。
しかしこの期間は、費用の問題であると同時に、時間そのものの質の問題でもあります。そこが、資産の議論からはこぼれ落ちやすい部分だと感じています。
「延ばす」より「圧縮する」という考え方
この論点には、40年以上前から名前がついています。
1980年に発表された論考は、平均寿命は大きく延びたが最大寿命は延びていないという観察から出発し、生活習慣によって慢性疾患の発症を後ろにずらせるのであれば、健康でない期間を人生の最後に圧縮できるという見方を提示しました[3]。「モルビディティ・コンプレッション(罹病期間の圧縮)」と呼ばれる考え方です。
図にすると分かりやすいと思います。生存曲線が右へ延びるのが「寿命を延ばす」こと。曲線が四角に近づいていくのが「健康でない期間を圧縮する」こと。目指す形が違います。
この40年で、この仮説がそのまま検証されたわけではありません。実際には、寿命が延びるとともに罹病期間も延びているという指摘もあり、議論は続いています。それでも、「どちらの形を目指しているのか」を自分の言葉で言えるかどうかは、健康について考えるうえで有効な問いだと思っています。
経済学は、健康期間をどう見積もっているか
興味深いのは、この問いに経済学の側からも数字が出ていることです。
米国の高齢者を対象としたシミュレーション研究では、心疾患やがんを個別に攻略していくシナリオと、加齢そのものを遅らせるシナリオを比較しました。その結果、後者では平均余命が約2.2年延び、そのほとんどが健康な期間として得られること、そして50年間で相当規模の経済的価値が生じうることが報告されています[4]。
さらに2021年には、健康を改善する「罹病期間の圧縮」のほうが、単に寿命を延ばすことよりも経済的価値が大きいとする分析が発表されました[5]。個別の病気を撲滅するより、加齢というプロセスに働きかけるほうが得られる価値が大きいという議論です。
ここは慎重に受け止める必要があります。 これらはいずれも集団を対象としたモデル計算であり、特定の個人の将来を予測するものでも、特定の治療の効果を示すものでもありません。また、加齢そのものに働きかける確立した手段が現時点で存在するわけでもありません。
それでも、「健康でいられる期間には、経済的にも意味がある」という視点が、医学の外側からも支持されつつあることは、記憶しておいてよいことだと思います。企業の側から見た投資対効果については経営者の「健康投資」——ヘルスケアをROIで考えるときで、組織としての取り組みについては健康経営を語る前にで扱っています。
資産寿命と健康寿命は、独立していない
ここが、この記事でいちばんお伝えしたい部分です。
「資産寿命」という言葉は、長寿化に伴って資産の寿命を延ばす必要があるという文脈で、公的な資料でも用いられてきました[6]。ただ、この2つの寿命は、別々に管理できるものではありません。
健康を失うと、資産の減り方が変わります。 支出が増えるだけでなく、就労を通じた収入が想定より早く途切れる可能性があります。取り崩しの前提そのものが動きます。
逆に、資産があっても健康がなければ使えません。 旅行、住み替え、学び直し、家族との時間——多くの支出計画は、動けることを暗黙の前提にしています。前提が崩れると、資産は残っていても計画は実行できません。
そして、順番は選べません。 どちらが先に尽きるかを決めることはできない。だからこそ、両方を同じ精度で見ておく必要があるのだと思います。
資産については、多くの方がすでに年単位の推移を持っています。健康について、同じものをお持ちでしょうか。
個人のライフプランに落とすと
実務的にできることを、いくつか挙げます。いずれも一般的な健康管理の考え方であり、資産運用の助言ではありません。
- 健康にも「残高照会」を作る。 健診の結果を数年分並べて、傾きを見る。単年の判定より、推移のほうが情報量があります。検査で測れること・測れないことの整理はアンチエイジングドックとは、暦の年齢と体の状態のずれについては生物学的年齢はどう測る?をご参照ください。
- 筋肉を「取り崩せない資産」として扱う。 加齢に伴う筋肉量の減少(サルコペニア)は、動ける期間に直結します。詳細は加齢で筋肉が減る「サルコペニア」で扱っています。
- 「何歳まで働くか」ではなく「何歳まで働ける状態でいるか」を考える。 就労の継続は多くのライフプランの前提ですが、その前提を支えているのは健康の側です。
- 家族と、資産と同じ具体性で健康の話をしておく。 判断が難しくなる場面での希望は、元気なうちにしか共有できません。
- 相談先を平時に決めておく。 お金の相談先はお持ちの方が多いと思います。体についても同じように、何かある前に決めておく。
こうした「守り」に加えて能動的に健康を組み立てる発想についてはエグゼクティブのための「攻めの健康管理」入門、サービスとしての選択肢については富裕層のための長寿医療という選択で扱っています。老化そのものの科学的な全体像は「老化の12の特徴」とはをご覧ください。
「お金では買い戻せない時間がある」——救急医の視点から
私は銀座数寄屋橋クリニックの院長を務める前、約20年にわたり国立の医療機関で救急医として勤務し、延べ約36,000人の患者さんの診療にあたってきました。
救急外来には、あらゆる立場の方が運ばれてきます。事業を成功させた方も、これから積み上げていく方も、同じ処置室に入ります。そこでは、資産の額が結果を変えることはほとんどありません。
現場に長くいて、「あと1週間早ければ」と思ったことは何度もありました。 症状が出てから受診までの1週間、健診の指摘を放置していた1年。時間の差が結果を分ける場面は、確かにあります。
一方で、「あと1億円あれば」と思ったことは、一度もありませんでした。 日本の医療制度が優れているからでもありますが、それ以上に、その局面で必要だったのは資金ではなく、もっと前の時間だったからだと思います。
そして印象に残っているのは、退院を控えた方が「これから何をしたいか」を話してくださる場面です。多くの場合、それは高額なものではありませんでした。旅行に行きたい、孫の運動会を見たい、もう一度職場に戻りたい。どれも、動けることが前提の願いでした。
資産の設計は、動けることを前提にしています。その前提の側を、同じ熱量で設計しておく。それが、ヘルススパンという言葉の実務的な意味なのだろうと考えています。
まとめ
- ライフスパン(寿命)とヘルススパン(健康でいられる期間)は別のものです。日本では令和4年時点で健康寿命が男性72.57年・女性75.45年、平均寿命が男性81.05年・女性87.09年で、その差はおよそ8〜12年あります。
- 1980年に提示された「罹病期間の圧縮」という考え方は、寿命を延ばすことと、健康でない期間を短くすることは目指す形が違う、という視点を与えてくれます。この仮説自体は検証の途上にありますが、問いとしては有効です。
- 経済学の側からも、加齢そのものに働きかけるシナリオの価値を試算した研究が出ています。ただしこれらは集団を対象としたモデル計算であり、個人の将来を予測したり、特定の治療の効果を示したりするものではありません。
- 資産寿命と健康寿命は独立ではありません。健康を失えば支出も収入も前提が動き、資産が残っていても健康がなければ計画は実行できません。どちらが先に尽きるかは選べない以上、両方を同じ精度で見ておくことに意味があります。
資産については、多くの方が数年分の推移をお持ちです。健康についても同じものを作っておく——まずはそこからで十分だと思います。
当院はストレスフリー療法を専門に提供しており、ストレス反応や血流に着目しながら、穏やかな温熱刺激を通じて体の土台を支えることを目指しています。皮下温度やストレス指標に関する予備的な研究は報告されていますが[7]、これらは小規模な研究であり、健康寿命の延伸を示すものではありません(研究知見にもとづく予備的なもので、はたらき方や結果には個人差があり、費用は全額自己負担となります)。その科学的な考え方についてはストレスと老化の科学で解説しています。
細胞レベルの若々しさや生物学的年齢にご関心のある方は、施術の流れや費用をまとめた当院のメニュー・料金ページもあわせてご覧ください。
よくある質問
Q. 健康寿命は、個人ごとに測れるものですか? A. 統計として公表されている健康寿命は、集団を対象に「日常生活に制限のない期間」を推計したものであり、個人の健康寿命を測定した数値ではありません。個人レベルで参考になるのは、健診値の数年分の推移、歩行速度や握力といった身体機能、そして日常生活で困っていることの有無です。単一の指標で判定するというより、複数の情報を並べて傾きを見る、という捉え方が実際的だと思います。
Q. 「加齢に働きかける」ことで健康寿命は延ばせるのでしょうか? A. 現時点で、加齢そのものを遅らせることが確立した手段はありません。ご紹介した経済学の研究も、「もしそれが可能になれば」という仮定に立ったモデル計算です。一方で、運動・睡眠・食事・血圧や血糖の管理といった従来からの要素と、健康でいられる期間との関連は、繰り返し報告されています。断定的な情報には慎重に接していただければと思います。
Q. 資産形成について、どこに相談すればよいですか? A. 当院は医療機関であり、資産形成や投資に関する助言は行っておりません。ライフプランや資産管理については、ファイナンシャル・プランナーや金融機関、税理士など、それぞれの専門家にご相談ください。この記事は、健康を計画の対象として扱っていただくための一般的な情報提供です。
参考文献
- World Health Organization「The Decade of Healthy Ageing: a new UN-wide initiative」(2020年12月14日)— 国連総会決議75/131により2021〜2030年を「健康な高齢化の10年」と定めたことを伝えるWHOの公式発表。出典
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「平均寿命と健康寿命」— 令和4(2022)年の健康寿命が男性72.57年・女性75.45年、平均寿命が男性81.05年・女性87.09年であることを示した公的解説資料。出典
- Fries JF.「Aging, Natural Death, and the Compression of Morbidity」(1980年、The New England Journal of Medicine, 303(3):130–135)— 最大寿命が延びない一方で慢性疾患の発症を後ろにずらせるならば、健康でない期間を人生の最後に圧縮できるとした古典的論考。doi:10.1056/NEJM198007173030304. 出典
- Goldman DP, Cutler D, Rowe JW, Michaud PC, Sullivan J, Peneva D, Olshansky SJ.「Substantial Health And Economic Returns From Delayed Aging May Warrant A New Focus For Medical Research」(2013年、Health Affairs, 32(10):1698–1705)— 米国高齢者のマイクロシミュレーションにより、疾患別の対策と「加齢を遅らせる」シナリオを比較した研究(集団を対象としたモデル計算です)。doi:10.1377/hlthaff.2013.0052. 出典
- Scott AJ, Ellison M, Sinclair DA.「The economic value of targeting aging」(2021年、Nature Aging, 1(7):616–623)— 健康を改善する罹病期間の圧縮のほうが、寿命の延長そのものよりも経済的価値が大きいとした分析(集団を対象としたモデル計算です)。doi:10.1038/s43587-021-00080-0. 出典
- 金融庁 金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」(令和元年6月3日)— 長寿化に伴い「資産寿命」を延ばす必要性を論じた公的資料(本記事では用語の出典としてのみ参照しています)。出典
- Ryotokuji K, et al.「Effect of pinpoint plantar long-wavelength infrared light irradiation on subcutaneous temperature and stress markers」(2013年、Laser Therapy, 22:93–102)— ストレスフリー療法と皮下温度・ストレス指標に関する研究(小規模・予備的な研究であり、健康寿命への影響を検討したものではありません)。
※上記の資料は公的統計および集団を対象とした研究・モデル計算を示すものであり、個々の方の将来を予測したり、特定の検査・治療の効果を保証したりするものではありません。ストレスフリー療法に関する研究は小規模・予備的なものを含み、はたらき方や結果には個人差があります。
本記事は健康に関する一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の検査・治療・製品の効果を保証するものではありません。また、資産形成・投資・年金・税務に関する助言を行うものではありません。これらについては、ファイナンシャル・プランナー、金融機関、税理士等の専門家にご相談ください。自由診療の費用は全額自己負担となります。健康に関する不安がある場合は医療機関にご相談ください。体の状態には個人差があります。
監修医プロフィール
院長
佐藤 琢紀(サトウ タクノリ)
元国立国際医療研究センター国府台病院救急科診療科長。専門:救急医療、集中治療、ストレスフリー療法、全人的医療。経歴:東北大学医学部卒、順天堂大学大学院卒。命の最前線である救急医療に20年以上従事。「病気になる前に救う」ための戦略的医療を提唱し、2023年より銀座数寄屋橋クリニック院長に着任。救急科専門医、医学博士。
- メッセージ
- こんにちは、院長の佐藤琢紀です。救急医として約20年間、36,000人もの診療に当たってきました。「病気になる前に救いたい」という思いから、いまは予防と若返りの医療へ。専門的な話もできるだけ自分の言葉でやさしくお届けします。様々な情報が溢れる時代だからこそ、「元氣で楽しい人生」を送る“本物”のヒントを皆さまに提供してまいります。 こちらでお願いいたします。
